「花街寂滅」 (2008.1)
宝 井 琴 調
   
 ヘロヘロに酔った頭に宴席の言葉が甦った。「さらしなが暖簾をおろしたとサ」「二三太楼も今日でやめるっていってたヨ」
 嘘だろう。正座して先輩の芸談を聞き、同期の悩みを知り、後輩に空威張りをした。自分が芸人である事を楽しんだアノ店が。閉店間際のカウンターに座って最後のラーメンのスープを、舌に喉に記憶させ乍ら呑みほすと、通い始めて三十数年、口をきいた事のないオヤジさんに「永い間有難う御座いました」と丁寧に頭を下げられた。
 湯島花街の香気を残す慎ましやかな店が、滋味なる店が、また二ツ消えた。

「静岡から…世界へ!?」 (2008.1)
田 辺 駿之介
   
 「一富士、二鷹、三茄子」は家康公が大好きなもの。全てが揃う静岡に、大御所として入城から、昨年は四百年だった。駿府のまちづくりは国際都市も視野に入れたそうだ。
 そんな町に生まれ、海外雄飛を夢見た山田長政はタイで活躍。
 長政に憧れ、顕彰碑建立の相撲興行の勧進元は明治の次郎長。明治半ばの清水港は、開国直後から輸出開始の静岡茶を積んだ船も多く国際港であったと聞く。静岡おでんは世界のアキバで缶詰が人気。
 さて、新年を向かえ、駿河国の駿之介はこの世界ではばたく!
・・・そんな初夢を見たいなぁ。

「旧モーガン邸、その後」 (2007.11)
一龍齋 春 水
   
 ここに綴ったことのある「旧モーガン邸」。旧マルビルや郵船ビルなどの日本の近代建築の牽引者の自邸が、我が家のごく近くに残っていることがわかり、その保存に講談で協力をしていた。
 それが今年の五月に放火され、九十パーセント焼失。邸を守る会やその後援者一同が真っ暗闇に落ちた。それでも約半年、建物を修復再生して市民公園へとの流れが少しづつ動き始めている。再生への署名をして下さったお客さま、先輩後輩の皆々様、ありがとうございます。そして今後とも、よろしくお願い致します。

「俳 句」 (2007.11)
田 辺 銀 冶
   
 詩は私の恋人で俳句は私の師であります。五七五。これに七七をつけると短歌。どうしても私にはその七七は余計なのです。
 俳句のリズムを日々に取り入れたいと思い、普段の会話、友人へのメール、大好きな人への手紙、これらを俳句調でやってみる。どうなるか? 通じない。完全なる私の力不足なのである。そのお陰でメールの返信には「?」の山。それでも五七五を師事する私はかたくなに七七を付けない。でも少し変える。
 説明はいらないが通じない五七五は駄目だ、俳句オタクが言っていた。ご尤も、若し我只独りナラバ俳句もやらないもん。

「昭和の活力を」 (2007.9)
宝 井 梅 星
   
 大田区の「昭和のくらし博物館」主催で「南極第一次観測隊物語」を口演させていただきました。戦後の歴史において唯一、日本国中が一つの目的のために団結した偉業が南極観測隊の派遣。
 講談の後には、第一次越冬隊員だった作間敏夫氏や西堀越冬隊長のご子息峯夫氏など、そうそうたるゲストをお迎えしての対談もある盛り沢山の内容。夢に向かって突き進んだ、当時の活力を現場の方からお聞き出来る、有意義な時間となりました。

「今秋の最強ボトムス☆」 (2007.9)
宝 井 琴 柑
   
 諸先輩方に色々な物を頂いておりますが、先日段ボール箱が届きました。講談全集とともに黒地の絣の「もんぺ」が入っていました。本来の用途は、袴の一種です。着物で移動する時に履くと、足さばきが楽になる、すぐれもの。
 でも、この「もんぺ」、Tシャツなど洋服ともコーディネートできそう。なにより、とても動きやすい。“ファッション”として認められるか、農作業中、あるいは戦時中と見られるかは・・・着こなし次第ですね。

「ただ今おさらい中」 (2007.7)
田 辺 一 乃
   
 道を歩きながら、電車を待ちながら、コーヒーを飲みながら、脳内は江戸時代、ただ今おさらい中。地味なお嬢さんが電車の中のお化粧で華やかに変身するんですから、ながらでおさらいしていても、気に留めるお人もいない、東京は度量の広い街。
 ただし夢中になってつい張り扇を入れてしまうと、膝を叩く「パパン!」の音に、皆さん一斉に振り返る。そんな時は、おだやかな顔で遠くを見つめて知らぬふり。
 あいすみません、心の中では大汗かいて、「ご迷惑をおかけしました」と手をあわせているのです。

「同じ窓、同じ風」 (2007.7)
田 辺 一 邑
   
 去る6月2日、高校の同窓会関東支部総会が終わった。「終わった」としたのにはわけがある。実は今年は一生に一度の幹事年、昨年7月に引継ぎを受けて約一年準備に準備を重ねての本番だったからである。たかが同窓会と笑うなかれ、たとえ同窓会でも与えられた責務はベストを尽くして遂行するのが伝統的校風なのである。
 とまぁ、この実行委員会が揃いも揃ったまさに適材適所。委員長から始まり事務局、会計、制作、広報など、皆得手を生かしてピッタリと納まった。各人の十二分な働きにより大盛況のうちに散会することができました。私はと言えば、はい、もちろん司会を務めさせて頂きました。

「下町の原点」 (2007.5)
神 田 山 緑
   
 小学四年生まで下町の人形町で育ち、四季折々行事が目白押し。
 正月の餅つき大会から始まり、節分の豆まき、袋の中には当たりくじ。金魚売りの声、隅田川の花火大会に盆踊り。秋の運動会。そして火の用心の拍子木の音と、町内の人みんなが家族みたいに集まって楽しんだ。何年経っても、その思い出が僕の心に残って一番の宝物。
 その昔、町内に「末廣」があった。今、講釈師をやっている。下町の原点に帰ってきたような気がする。

「師匠からの贈り物」 (2007.5)
神 田 織 音
   
 師匠に入門して間もなく、三味線を頂いた。前座だった私には身に余る代物で気にかかりながらも、どう手をつけたらいいか分からなかった。しかし、二ツ目に昇進させて頂いたのを機に思い切って近所の民謡教室に通うことにした。
 初めは赤とんぼや故郷の空といった童謡から始まり、長者の山、真室川音頭と少しずつレパートリーが増えた。今は外山節を稽古中。
 お教室では私は一番の若手で辞められては困ると必死に褒めて下さる。「歌を知らないのによく覚えるねぇ」

「さらば文豪」 (2007.3)
一龍齋 貞 橘
   
 先日、世界的文豪シドニー・シェルダンさんがお亡くなりになられたというニュースが流れました。思えば私がまだ高校生の頃、大ブームとなり、ミーハーな私はスリルある人生を送る登場人物達に夢中になって読んだものでした。
 24から80才を越えるまで物を書き続けた、その枯渇を知らない創作力の秘訣を生前彼はこう語っている。「大切なのは人は何を求めているかだ」と。
 大衆の為、筆を握り続けた偉大なる文豪、心よりご冥福をお祈り申し上げます。

「感謝 感謝」 (2007.3)
田 辺 鶴 英
   
 新春早々から縁起の良いめでたいニュースが到着しました。田辺つる路さんが十月から真打に決まったのです。こんな嬉しいことはありません。もはや今年一番嬉しいことが来てしまって、あとはどうしよう…。
 先日、そのつる路さんと隅田川の木母寺まで散策してきました。梅若の塚と榎本武揚の銅像のある梅若公園まで行き、帰りは歩き疲れてバスで両国まで。そこで師匠の誕生会を予約したところが…、聞いてないって言われました。あ〜あ、私に幹事役は向いてませんね。そして、昨年十一月、娘であり妹弟子銀冶が講談協会再入門を許可して頂きましたこと、感謝でいっぱいです。講談協会の会長、理事、緒先輩の皆さんどうもありがとうございました。感謝、感謝、感謝。

「あやしい奴」 (2007.1)
田 辺 凌 鶴
   
 昼の池袋。警察官が2人駆け寄ってきて、「この辺りは凶悪事件があり、凶器を持ってるなんて事もあるのでご協力願えませんか」。ズボンと上着のボディーチェック。鞄の中身を検査。さらに財布、小銭入れの中まで。「あのう、財布には凶器は入らないんじゃあ…」、「カード偽造とか、ヤクが入っている場合もあるので」。ジーンズに黒の上着、髪の毛を後ろに結わえているから、怪しい奴と思われたか? 「すみません。職務質問された事をブログに載せたいので写真を撮ってもいいですか?」、「勤務中ですから」。警官はそそくさと去って行きました。

「便利か不便か」 (2007.1)
一龍齋 貞 心
   
 携帯電話が普及して便利になりましたが、先日その携帯を忘れた時に、公衆電話を探したけれど見つけるのが大変でした。不便ですね。
 携帯もいろいろな機能がついてるけれど、とても使いこなせません。あの機能を一〇〇%使いこなす人って居るんでしょうかね。
 それより、頭にくるのは一方的に掛ってくる勧誘の電話。最初は丁寧に株やら不動産の話をして進めてくるが、断るといきなりガチャンと切る営業マン。
 この間も最初から断っているのに、最後は「冷たいですね」と言ってガチャン。後からでも、こういう電話の番号が判る機能って無いですかね。そんな機能があればそこへ電話して講談を一席聞かせようと思うんですが、どうでしょう。

「大きな鋸(のこぎり)?」 (2006.11)
一龍齋 春 水
   
 私の住む町は「大鋸」ダイギリ。鎌倉時代からあった地名で、船や神社を造る木材を切り出す為の大きな鋸を持った人達が住んでいたとか。
 大正末に来日し、旧丸ビルや郵船ビル等の建築に関わり、多くのスパニッシュ建築を残したジェイ・H・モーガンの自邸が、ここ大鋸に残っています。あわや宅地開発という危機を、市民パワーにより六年がかりで差し止める事が出来ました。次は補修の為の募金活動です。「緑と建物、まとめて一つの財産、まとめて一つの風景」という思いを、講談で伝えたい! 11月18日藤沢市民会館にて。

「ありがとう」を言いに来た人 (2006.11)
田 辺 一 凜
   
 ふと入ったコンビニで中学の同級生に20年ぶりに再会。何か言いたげだったので食事に出かけると、彼は水以外何も口にせず、やはりずっと何か言いたげにしている。後日、また彼から連絡があったので、今度はファミレスで落ち合う。この時もやはり何か言いたげ。「何か言いたいことがあるの?」と聞くと、「中学の時、いじめにあっていた僕をあなたが助けてくれた。ずっとお礼を言いたかった。ありがとう」。これが今年9月上旬の話。
 その後、なんだか彼のことが気になり、中学の卒業アルバムから実家の連絡先を探して電話をしてみると、お母さんが出て「彼は今年3月に亡くなった」と。コレ、知人から聞いた実話です。遠いところからお礼を言いに来たんですね。少し怖いけど、とってもハートウォーミングな話。

三方目出鯛 (2006.9)
一龍齋 貞 寿
   
 現在約7割がサービス業という日本の景気を考える上で重要なのは「いかにサービス業の業績を上げるか」なのだとか。しかしサービス業は他の産業とは違い、お金だけじゃなく、サービスを提供される為の時間も必要になります。だから、景気回復のためには皆がノビノビと休みを取れる社会にしなきゃいけないのだそうです。
 皆様、景気回復の為お休みを取りましょう! そして、お休みの日には講談を聞きましょう! そうすれば景気も回復、皆様も楽しい休暇を満喫、そして私達は寄席が増えて万々歳!・・・これぞ、三方目出鯛?

わかっちゃいるけれど… (2006.9)
一龍齋 貞 友
   
 食欲の秋! ことにお酒が美味しい季節。ビールに始まり冷酒、熱燗、赤白ワイン、麦栗芋米黒糖焼酎、泡盛だって!! そう、たまにはウィスキー、ブランデーも。えっ嫌いなアルコールはないのかって!? そうなんです! ないんです、皆んな大好き。
 決して強い方ではないけれど、好きなんですねぇこれが。宝塚とどちらか選べと言われたら相当悩んでしまうだろうな。但し、女の酔っぱらい、決して見栄えの良いものではありませぬ。ですから今、私に一番必要な言葉\それは、自制心。でも陽が西に傾くとこの言葉はすっかり忘却の彼方へ。今夜もキュッと一杯いっちゃいますか。うふふ。では勉強はいつ?? それは飲みながらじっくり考えます。

が れ (2006.7)
田 辺 つる路
   
 五月の一日、吹きガラスを体験した。真っ赤に燃える炉の中から親方は吹き棒の先にヒョイと赤い玉をくっつけ、クルクル廻しながらやって来る。
 「はい、吹き口をくわえて、廻しながらぁ、ラッパを吹く様にぃ、手を止めない!」
 棒を廻していないと直ぐにガラスはグンニャリと垂れ下がる。格闘一時間、深緑に銀コイルを巻いたマイロックグラスは温度調整器へ。後でサインを入れてくれるというので平仮名で「がれ」と頼んだ。十日後「がれ」は来た。「あら、つる路の手作り?可愛い花瓶ね」

小心者日記 (2006.7)
神 田 あやめ
   
 クリントン前米大統領は大の珈琲嫌いだそうです。ところが沖縄サミットのときに自分以外に出された珈琲の香りをかいで欲した挙句、全部飲み干してしまったという話。その伝説の珈琲職人が経営している店に行ってみました。
 予想と反して敷居の高い感じはしませんでしたが、着物だったので気を使われて一人で大きなテーブル席に・・・。
 人気店なため後からの客が立って待ってます。何となく居づらくなりさっさと飲んで帰りました。味は・・・良くは判らず終い。今度はジーンズで行ってみようっと。

ボクの上京物語 (2006.3)
田 辺 駿之介
   
 僕は東京が好きです。故郷が嫌いというわけではありません。ただ都会に憧れを持っていました。特に夜景が好き。東京タワー、六本木ヒルズ、お台場、葛西臨海公園などなど。その輝きにはトキメキを覚えます。
 先日、上京時に師匠に探して頂いた部屋の更新をしました。5年も住めば居心地はいいのですが、夜景はおろか、日中陽が当たらず、ベランダは猫の通り道。最近は増え続ける本の置き場にも困ります。僕の夢はいつか陽が当たり、夜景のキレイな部屋に住めるような講釈師になることです。

望まぬ初体験 (2006.3)
宝 井 琴 嶺
   
 キラキラした人生初体験に欣喜雀躍した猪武者琴嶺も、馬齢を重ねてすでに銀嶺。
 霜月=「柿もぎの脚立倒れて 黄泉の口」。登山願望の筋トレ故か、腿の青膨れのみで骨折を逃れ。大胆瘤の頭部検査も「年齢にしては立派な脳味噌」のお墨付きで一安心。
 師走=「声嗄れて 医者掛持ちの歳の暮」。あがいて焦って、ついに代演を頼む。代演で済まぬが、四国遍路中の不思議なご縁。屋島山上で那須与一口演の大事な催しである。
 “有難やどこかで観てる大自然”と暮れの嵐も何とか無事通過。いよいよ寸陰惜しむ思い。
「年明けて 残る遍路寺 三十五」 琴嶺

思 い 出 (2006.1)
一龍齋 貞 秀
   
 高校2年の秋、隣のクラスのRさんに気持ちを告白しましたが、「他に好きな人がいるから」と断られてしまいました。同じ部活のH君だとの事。私は好きな人の幸せを願う余り、H君に近づき、RさんとH君のキューピット役になりました。
 しかし、一ヶ月もしない内に二人は破局。「てことは、もう振られる理由ないじゃん」と再度告白。数日後、Rさんからの手紙にはただ一言「ごめんなさい」と…。結局、俺の事が嫌いなだけじゃん!

本朝話人伝 (2005.11)
一龍齋 貞 橘
   
 江戸から明治の講談師落語家の姿を描いた野村無名庵の「本朝話人伝」が文庫本になっていると耳にし読んでみた。逸話集という事でその事実性は定かではないが、当時の匂いが感じられる数少ない貴重な文献である。
 今との違い、今と変わらない事、講談に関わる者としては色々と考えさせられる一冊であった。作者無名庵は大空襲の為亡くなられたが、後に後編を執筆する構想をしていたとの事、残念の到りである。

国 プ ロ (2005.11)
神 田 春 陽
   
 先日、旭堂南鱗先生から国際プロレス史を聞かせていただいた。南鱗先生にお会いするたびに、先生から教えていただけるプロレス史は、格闘技好きの私にとって大変興味深いものだ。
 子供の頃、国際プロレスのラッシャー木村のファンだった私は、母のお古のストッキングをはいて、友達を金網に投げ飛ばしていたことを思い出した。やはり、ラッシャー木村は「マイクの鬼」じゃなくて「金網の鬼」ですよね、南鱗先生!

琴調酔虎伝・花折 (2005.9)
宝 井 琴 調
   
 受付で花を貰い、多勢の呑ん兵ェ達をかきわけ前に出ると、遺影とドライシェリーが花に囲まれていた。そこに遺骨は無かった。献体である。最期にグラスを傾けた時、貴方にいい縞があるのよと言っていた。私が侠客物をやる時好んで着る蛇形の柄は彼女の物を直した着物だ。突然の訃報と葬儀はしないと聞いた時、アノ着物を着て高座を務める事が呑ん兵ェ仲間としての供養であろうとタンスから取り出した。

ヤジの極意 (2005.9)
田 辺 一 凜
   
 球場にて。
 二死満塁、カウント2-3、手に汗握る場面。「コラァ打つな、打ったらいてまうぞ! イヤ、打たないでくれ。実は俺は敵ながらお前を球界で1〜2を争う素晴らしいバッターだと思っている。そんな俺に免じて、どうかここは一つ穏便に」。
 緊迫していればいる程、このテのヤジに吹き出してしまう。人間味溢れるヤジは面白い。パ・リーグの球場は愛すべき「ヤジラー」の宝庫だ。また聞きに行こうっと。

一年中帽子を被っている私 (2005.7)
桃 川 鶴 女
   
 夏は必要にかられて誰もが帽子を被る時期です。しかし、私は春夏秋冬の帽子を50以上持っていて被らないとおちつかないし、出かけられません。きっと体の一部になっているのでしょう。ですから一年中帽子を被っている私。でも被らないときがあります。着物を着ているときです。着物用の帽子があればもっとお洒落が楽しめるんですけど。綿帽子? うーんもう五回ぐらい被れるかしら!

ワープロの変換ミス (2005.7)
田 辺 凌 鶴
   
 最近使用しているワープロ、お疲れ気味なんでしょうか。「昨日の行動は問題だったかな」と打ちたかったのに、「機能の行動は問題だった香奈」と。

 「日常生活に支障が出てくる」は「日常生活に師匠が出てくる」。「持田さん」は「餅出さん」。そのほかの例を紹介すれば「床に穴があく」→「由佳に穴があく」。「毛頭ないが」→「もう党内が」。「社長がいいからだと思います」→「社長がいい体と思います」。

 でも、不器用な自分を見ているようで一層愛着が…。


貼 紙 (2005.5)
宝 井 琴 星
   
 今度の住まいの周辺には、徒歩十五分以内に銭湯が六軒もある銭湯の宝庫である。銭湯好きにとっては、たまらない土地に引っ越してきた。しかも、立ち飲み屋もあるし、酒屋には立って飲むカウンターもある。アフター銭湯も申し分ない。
 その銭湯の中に、やたらと注意書の貼紙をしているところがある。よく体をふいてから上がって下さいとか毛染は使わないで下さいとか…。やっと注意書から解放されて外に出ると、銭湯の壁に写真のような貼紙がしてあった。

明日への手応え (2005.3)
一龍齋 春 水
   
 地元の小学校で、琴調先輩に助っ人を願って講談教室を試みた。教材は「扇の的」「曽呂利」「一豊の妻」。以外にも人気が高かったのが「扇〜」。教師が調達してくれた竹の棒を張り扇代わりに、机を叩きながら大声で読んで行く「源平互いに甲乙なし〜」。
 45分授業の二時限目には、一人教壇に立ち堂々と読み上げる子も現れた。後日受け取った感想文には「講談と落語の違いが解りました」「そっちの道に進んでも良いかもしれない」「琴調先生はすごい!」。

講談で親孝行? (2005.3)
宝 井 梅 星
   
 時々通る新宿の地下街でよく見かけるご老人、いつも店先で「いらっしゃいませ!」と通る人々に声を掛けてます。聞けば御年九十才、そんなご亭主が杖をついて客引きを。
 そう言えば私の父も今年九十才になります。昨年上京して来た時は長年の夢、靖国神社に参拝。今年は南極観測船「宗谷」の話を聴きたいと。嬉しいのは、父親の希望と私の新作が一致していること。日本の誇りを伝える事は親孝行にも結びつくのかもしれません。

星のおじいさん (2005.1)
田 辺 星之助
   
 公民館で行われた「星のおじいさんのやさしい天文学」という講座をのぞいてみた。豊富な知識と経験を活かした齢七十過ぎの「星のおじいさん」を名乗る講師の話は面白く、年配の受講生の方々と共に聞き入ってしまった。最終回には、星の伝説を紹介した紙芝居の実演まであった。聞けば「星のおじいさん」は、元・紙芝居屋さんだったとか。どうりで話が上手なわけだと納得。世の中には意外な経歴を持つ人もいるものだと感心した。

今年は誰から? (2005.1)
一龍齋 貞 寿
   
 年始の楽しみの一つに年賀状があります。今年は誰から来るのかしら? などと考えながら年賀状を手にしているのですが、毎年必ず、私が送っていない人からも年賀状が届いているのです。
 今年は完璧! と思っていても、毎年必ず送り忘れがあるのです。その度に慌てて年賀状を書くのですが、もう後の祭り。五日頃に届くであろう年賀状を投函しつつ、来年こそは! と思うのですが、毎年繰り返される年始のうっかり。さて、今年は?

修業中 (2004.11)
田 辺 一 邑
   
 参禅会に行って来ました。愛宕山近く、高層タワーに挟まれた曹洞宗のお寺さんです。初めての人は三十分前に集合、時間ギリギリに駆け込むと既に五十人近くの人がいてびっくり。
 僧堂への入り方から単への上がり方、坐り方等ひととおりの作法を教わり、さあいよいよ開始。時間は四十分、一ちゅうと呼ばれるお線香が燃え尽きる時間です。十五分ほど経った頃から集中が途切れてきました。警策の音にビクッ、隣のおじさんはコックリコックリ、明かに寝ている様子。足も痛くなってきた。えーいこうなったら…。頭の中で始めたのが左甚五郎一席。道元禅師ごめんなさい。

ハッピーロード (2004.11)
神 田 織 音
   
 わたしの地元商店街は、全長五百六十メートルという都内随一のアーケードで、ここに二百軒以上もの店が並ぶ。賑やかで活気あふれる商店街で、休日や夕方のお買い物時間は大勢の買い物客であふれ、自転車は押して歩かなければ通れないほどになる。
 この地へ移り住んで14年になるがいまだに飽きないし、駅まで屋根があるので雨が降ってもあまり苦にならない。ぶらぶらしていると大抵誰か知った顔に出会う。ただ一番出会う回数が多いのは我が父だ。お互いよほどウロウロしているらしい。

琴調閑話 (2004.9)
宝 井 琴 調
   
 最近の子供は声が低くなっていると雑誌に書いてあった。この半世紀に音階で3度程低くなっているとの事だ。意外である。近頃の子供は声が高くなったと私は感じていた。
 「アイスクリーム如何ですかァ」と入ってくる新幹線の少女も、「チューハイ三ツ」と叫んでいる白木屋の兄チャンも皆々耳障りであるし。流行歌にいたっては、泣き節、泣き調子、泣き売の類ではと睨んでいた。生まれいでた時から、テレビやCD、クラクションや大安売りのスピーカーと人工音で育って来たのだもの。
 講釈の表現には様々な音が登場する。鐘の音、虫の音、蛙の声、雨音、風音、按摩の笛、川のせせらぎから衣擦れの音。扠、今や聞き手の心にどこ迄届くことやら。

私の年間風物詩 (2004.9)
神 田 あやめ
   
 高校時代から何度か体験したアルコールパッチテスト。結果は何れも「アルコールに適さない身体」。故に飲酒の習慣なし。こうなればあやめはお酒に無縁だと思われがちですが、実はそうでもありません。
 私が十代から持っている趣味が果実酒コレクションなんです。目的はあくまでコレクション。作るだけ作り飲みはしません。春は梅や苺を漬け、夏は夏蜜柑。漬ける果実を眺めて満足し、熟成されれば友人に引き取ってもらう、こんな具合です。只今嫁に行けずに冷蔵庫にいるのが甘く作りすぎたクコの実酒。引き取り手募集中です。
 さて、来る今年は何を漬けましょう。季節の度に楽しい悩みです。イチジク、姫リンゴ、カリンにコケモモ・・・。

知 名 度 (2004.7)
神 田 照 山
   
 今年はNHKが大河ドラマに「新撰組」を取り上げた。そのため、局長の近藤勇や土方歳三らの故郷である調布市や日野市が、大いに便乗して活性化に努めている。元来、東京の西方にのみ集中している市町村の中でも、武蔵野、立川、府中などより控目な街だ。私も四十年前調布に、三十年前は日野の隣の多摩市に住んでいた。他県の人には説明が必要だった。しかし今後は違うだろう。テレビが全国に宣伝してくれるのだから。
 私たちが知っている歴史上の有名人たちも、その殆どは芝居や物語に書かれたものばかりだ。今も昔も人に知られるためには、中身より宣伝がまず大事ということのようだ。

古書にハマりそうな予感 (2004.7)
田 辺 駿之介
   
 師匠のお宅は芸能関係の古書で溢れていて、これらを私も度々活用させて頂いております。将来のため、自らの手元にも本を集めようと古書店を廻りますが、今の私では手の届かないものばかり。
 しかし先日、ふと神田の児童書専門店を覗いてみたら、無造作に重ねられた絵本の中に、明治の講談本が紛れていたのです。一部鼠にかじられてても、内容はちゃんと解るし、講談中興の祖と言われる松林伯円の本なのに、数百円という安価。手にした感動を師匠に報告すると「こういうのを発見すると震えてくるよネ」と一言。必要な資料を思う存分買えるような講釈師に早くなりたいと思いますが、そのためにも今は勉強と感じている今日この頃です。

人生一度は「万博」だ! (2004.5)
田 辺 東 鶴
   
 ロサンゼルスに移り住んで5年。ただ一人の在米講談師としてアメリカ全土を駆け回っていた矢先、衝撃的なニュースが飛び込んできた。『2005年、愛知で万博が開催される!』
 日本での万博は大阪万博以来なんと35年振りである。生来、大のお祭り好きで、大阪万博を知らない私は、次第に体内の血液が熱くなり、そしてついに叫んだ。『よし、日本に帰ろう!』
 そして住み慣れたロサンゼルスに別れを告げ、愛知県に移り住んだ次第。『人生一度は「万博」だ!!』

講談の唄 (2004.5)
一龍齋 貞 秀
   
 ♪講談聞くなら私のを
     うんと笑わせ泣かせます
  パパンとスッキリ張り扇
     パパンとスッキリ張り扇
  華も実もあるお色気も
     晴れの高座の凛々しさよ
  パパンとスッキリ張り扇
     パパンとスッキリ張り扇
  皆で歌おうこの唄を
     天下に名高いご当地で
  パパンとスッキリ張り扇
     パパンとスッキリ張り扇

亡き師匠貞丈がお座敷小唄に自身で詞を付け、貞丈の会で毎回お客様と歌った歌です。今も思い出す名曲です。


私の頭を痛める謎 (2004.3)
神 田 春 陽
   
 ある国に、カレースマスという行事があるという。これは、クリスマスがキリストの誕生日に行われるのに対し、お釈迦様の誕生日の4月8日、花祭りの日に行われるらしい。毎年4月8日の夜、子供達が枕元に靴下を置いて寝ていると、ゾウに乗ったインド人がやって来て、靴下にカレーを入れて帰って行くと言う。
 朝、目が覚めてカレー入り靴下を手に取り、ベッドの上で小さな体いっぱいに喜びを表現する子供達の姿を想像すると、私の心はモーレツに感動し、滂沱と溢れる涙を止めることができない。果たして、このカレーは食べるのだろうか?この靴下は洗って履くのだろうか?福神漬けか?それともラッキョか? 謎は尽きない。

青い鳥 (2004.1)
一龍齋 貞 橘
   
 先日、高校生の頃の部活の旧友らと会う機会があった。消防士になっていた奴、教師になっていた奴、自衛隊に入隊した奴、サラリーマン、結婚していた奴も居た。それぞれが各々の道に進んでいた。
 ところが話をしていると「お前はいいよな、好きな道を進めてよ」と、皆が口を揃えた。成る程、言われてみればやりたい事も見つからない内に社会に出てしまう者が多い此の御時世、早い内に講釈に出会えたのは運の良い事なんだなぁと、改めて実感。それと共に好きな事をやらせてもらっているのだからもっと頑張らねばと、自分の甘さも実感。「青い鳥はすぐ側に居る」、メーテル・リンクの物語がふと頭に浮かんだ。

鶴英よ (2003.9)
田 辺 一 鶴
   
 このたびは鶴英が真打になる。嬉しいことだ。私がフランス革命二百年記念行事の一環、古典芸能の日本代表?として渡仏したのは十五年前だ。「東京オリンピック」を始め「江戸文字鎖(江戸風習、言い伝えのしりとり文句)」、修羅場法を利用した息継ぎなしの話術で、パリの観客から拍手をもらう。
 帰国後、お江戸両国亭で講談教室を開いた。今も続くその教室からプロを七人送り込んだ。その第一号が鶴英。娘の小むぎと来た。前座時代は闘志満々の高座。二ツ目で発表した「介護講談」は少し陽が当たり全国を講演で廻る機会が増えたのも幸運と言えるだろう。
 鶴英よ、講談の基礎は修羅場だ。初心を忘れず真打昇進後も毎日研究を続けて欲しい。

ヨイトマケの唄 (2003.9)
田 辺 一 凜
   
 前座修業を始めて一年位が過ぎた頃でしょうか、私はかなり遅めの五月病のような症状になったことがありました。そんな時、鶴英姉さんが食事に誘って下さいました。
 姉さんは食事中、ご自身も前座の頃、色んなことに戸惑って悩んだことがあるetc、ご自身の経験を交えて話しながら私を励まして下さいました。二軒目は二人でカラオケに。姉さんは昭和歌謡中心の選曲で、最後に「ヨイトマケの唄」を熱唱。姉さんの唄は、美声(?)というより、個性的な唄でしたが、私はとてもその唄に元気づけられました。
 その姉さんが、この秋真打に昇進! 我が事のように嬉しいです。
 鶴英姉さん、あの夜はごちそうさま! そして今後ともよろしくお願いします。

弟子の織音が… (2003.7)
神 田 香 織
   
 お陰様で、弟子の織音が今春から二つ目に昇進させてもらいました。最近寄席がはねた後「お弟子さん、だいぶ上達したね」とお客様が耳打ちしてくれ、嬉しい限りです。それにしても本人がやる気になると怖いぐらいですね。一年前「ネタを覚えるのには20代が最適。あとは記憶力が悪くなる一方」と脅かしたのが効いたのか、すごい勢いで新ネタを増やしています。
 最近「30、40代でもまだ大丈夫」と訂正しましたが、勢いは止まらないようです。「二つ目の期間は長い。二つ目のうちに結婚と出産を済ましておくといいよ」とも言いましたが、こちらはやはり相手があること、思うようにはいかないようです・・。

講談さくま亭 (2003.7)
一龍齋貞友
   
 5月17日から始まった、“酒味の会 さくま亭”師匠を30年以上も前から応援して下さっているさくまの女将さんが、浅草にも講釈場を復活させよう!という事で、貞友が準備当番を仰せつかった。
 座布団カバー、下駄箱など会の為に新しく変え、金屏風は仰々しくなるからと障子を二間。壁には夢二のリトグラフとまさに至れり尽せり。初めて講談に触れるお客様にも、これを機会に親しく御贔屓になって頂ける用、毎月新鮮な思いで高座に−。そして〆めには、さくま自慢のお料理に舌鼓を打って頂ければ聴くも飲むもこれで決まり! もう言うことなし!! でしょ。
 実はさくまと貞友は誠に浅からぬ縁。女将さんとは宝塚、お嬢とはディズニー友達なのである。

日々雑感 (2003.5)
田 辺 凌 鶴
   
 ファーストフード店でお茶を飲んでいると、いろんな声を耳にして興味深いです。
1 女子高生の会話
「作文でぇ、『やはり』って直されたんだけどぉ、『やはり』なんて言わなくなくない?『やっぱ』とか『やっぱり』って使うだろ普通、『やはり』って言うか?」『やはり』は将来死語に?
2 OL風の女性が携帯電話で
「抜けた? 抜けない? 自分で抜けない?ゆっくりやってもダメ? じゃあ私今からそっちに行ってあげるよ、私抜くのうまいから抜いてあげる。え? 自分で出来る? 石鹸水につけて・・・」どうやら指輪のようで。

琴調閑話 (2003.3)
宝 井 琴 調
   
 日本一永いトンネルだと思う。ゴトゴト小さな電車はいつ迄も闇の中を走る。その闇は何故か思いを我が来し方に誘っていく。二ツ目、前座時代、初恋、給食、紙芝居、三輪車・・。やがてポツンとあかりが見え、母の産道を抜ける様に闇を飛び出した。
 角館からマタギの里へ。秋田内陸線というキュートな電車です。駅にはこの電車を守る会の人達が待っておられました。オホーツクのふるさと銀河線を守る会の人々と思いは同じ方々でした。その線路は、出会いと別れ、旅立ちと望郷、消したくない自分のあし跡なのです。
 いいじゃないですか、何でもお手伝いしようじゃありませんか。私で役に立つなら。

転 居 (2003.3)
一龍齋 春 水
   
 昨年夏から再び母と同居することになった。旧東海道沿い藤沢宿、時宗総本山遊行寺の坂の上。新春箱根駅伝では、毎年テレビに映し出される通りに近い。姉は一人で献身的な介護を負ってきた。姉にも私にも、介護を頼める娘はいない。少し母が羨ましくもある。
 鶴英先輩の近著・介護講談本「ぴんぴんころりでいきましょう」という題名は、老いてもぴんぴん生きて、ある日ころりと逝けるようにと言うことか。「ぴんぴんころり」は人間の夢だ。
 こんな記事を読んで驚いた。九十歳の人が三十年ローンを組んで家を建てたという。生命保険もさぞ高かろうに。ぴんぴんころりに、自信在り也如何。

春夏秋冬の心 (2003.1)
神 田 すみれ
   
 群馬の旅先で立ち寄った蕎麦屋、壁に小さな額が掛かっていた。
春夏秋冬の心
  人に接する時は
   春のような温かい心で
  仕事をする時は
   夏のように燃える心で
  考えるときは
   秋のように澄んだ心で
  自己を反省する時は
   冬のように厳しい心で」
 美味しい蕎麦もきれいな紅葉も堪能したが自分もいつも春夏秋冬の心を持っていたいものだと感銘した。

お戒壇めぐり (2003.1)
宝 井 琴 葉
   
 甲斐善光寺でお戒壇めぐりに挑んだ。金堂地下にある扉の錠前に触れると極楽へ行けるらしい。地下への階段は灯りがなく真っ暗。数段降りて早くも足がすくむ。何とか地下の回廊まで降りた。手探りで鍵を探すが…ないっ。暗くてどこにあるかわからない。だめだ。これ以上は恐ろしくていられない…でもここで引き返すのはもったいない…ああ懐中電灯でもあれば。ん、そうだ灯りの代わりならこれが。ジャジャーン。携帯電話。ピコピコ動かしバックライトのかすかな光を頼りに奥へ。「あった、極楽の鍵」これでもかと触る触る。携帯もたまには役にたつものだ。しかしこんな姑息な方法で入手した極楽行きの切符は、果たして有効なのだろうか。

薪 (2002.11)
宝 井 琴 星
   
 秋の味覚はたくさんあるがサンマがいい。炭火で焼くのが一番と食通は語る。火の種類によって、味覚が変わるようだ。
 田無に橋の湯という天井の高い銭湯がある。天井が高いと解放感に浸ることができる。この銭湯の湯は、さらっとして肌にやさしい感触であると、何人かの銭湯通が言っていた。その理由として、井戸水と重油でなく古木材を使っていることではないかという説が有力である。火の種類によって、肌の感触が違うらしい。薪の火で煮焚したり風呂を沸かすのは、現代ではぜいたくの部類に入るだろう。
 その帰り、田無小学校の前を通ると、二宮金次郎が薪を背負っていた。

あらーッ、応挙先生 (2002.11)
田 辺 つる路
   
 残暑も和らいだ九月の中頃「三朝温泉、城崎温泉、伊根の舟屋」格安ツアーに出掛けた。羽田から米子空港へ、そこから先は二泊三日のバスの旅。出雲大社を皮切りに、鳥取砂丘、城崎温泉外湯巡り、遊覧船で廻った舟屋。「どの地もそれぞれに・・・ローマです」。いや、大乗寺です。
 円山応挙が裃姿で出迎えてくれる。こんなひなびたところで応挙先生に会えるなんて。応挙と息子、弟子達が分担して障壁画を各々の部屋に描いているのだが、当時のままの姿で実に見ごたえがあった。集合時間を気にしつつも至福のひとときだった。
 それにしてもツアー旅行もそろそろ土産物屋さんとのタイアップを減らしてくれないかなぁ。

同窓会総会 (2002.9)
田 辺 一 邑
   
 久々に故郷浜松に帰って高校の同窓会に出席した。旧制中学時代からのお歴々が集まる年一回の盛大な催しだ。
 千人近くの中で同級生は三十人程度。卒業して早や二十年以上、外見の変化(特に男性陣の頭部や腹部)に時の流れを感じるものの、そこは共に机を並べた仲、いくつになってもクン付け、ちゃん付けで呼び合い、すぐにうちとけて話ができるからうれしい。
 皆それぞれに仕事に励み、家庭を持ち、地域とかかわり、おのれの分をまっとうに生きている健やかな人たちばかり。そのうえ、人のために行動できるなんてほんとに頭が下がります。
 それに比べて我が身のなんとうわついて自分本位なことよ。楽しかったけど、ちょっぴり反省もさせられて戻ってきたのでした。

挑戦します! (2002.9)
神 田 おりね
   
 この夏私は南アルプス仙丈ヶ岳の頂上を極めた。昨年から山登りを始め徐々に高度を上げていき、遂に初めて三千メーターを越えたのである。これもすべて間もなく挑戦する富士登山のためだ。
 日本一の富士山でご来光を浴び(拝まない、浴びちゃう)、パワーを充電するのである。もちろん蓄えた力は講談で発揮したい。このパパンが皆様のお手元に届く頃には、おりねは今までのおりねとちょっと違うかも。気になることは只一つ天候の問題。何しろ私は師匠から「嵐を呼ぶ女」と言われている。

気 功 (2002.7)
神 田 翠 月
   
 毎朝、近くの公園で気功が行われている事を知って、いつしか参加するようになった。まずは準備運動で身体を慣らす事30〜40分、なかでも背中の筋肉をほぐす為肉をつまむのだが、この時ばかりは流石に悲鳴を上げる有様。但し、そのあとの何と楽な事か。ブロックを背負っているかと思うような私の重い背中が、スーッと軽くなっていくのが解る。
 もともと気功は激しいリズム運動とは違い、楽しみながらスローで、しなやかな動きの連続であり、手先から足の爪先に至るまで、無駄な動作は皆無です。腰に両手を当てれば肝臓のツボである志室を刺激され、内臓が活性化される。人間の体調の善し悪しは空気中のイオン濃度によると言われますが、公園等の木の下では朝六時〜十時までがマイナスイオンの発生率が多いと聞きます。

しし座流星群 (2002.7)
田 辺 星之助
   
 昨年のしし座流星群は、ご覧になりましたか。私は秩父の城峰山に登って、見て来ました。しし座流星群は約33年ごとに大出現することが知られています。予想された昨年11月19日の明け方には、数え切れないほどの流れ星が次々と出現し、驚きと感動の連続でした。
 夜空を横切る無数の光に心を奪われながら、この素晴らしい光景を伝えるには、どんな言葉があるだろうかと考えていました。しかし、月並みな言葉しか出て来こず、あらためて文才の無さに落胆したことを覚えています。
 さて流星群は、しし座流星群だけではありません。8月13日未明にはペルセウス座流星群の出現が期待されています。是非、空のきれいな場所でご覧下さい。

五十年続いた「講談丼会」 (2002.5)
   
 毎月二十一日の午後六時半頃になると、総武線両国駅東口から徒歩二分のところにある鰻屋「両国」へ三三五五お客が集まってくる。やがて二階の座敷から張扇の音が高らかに聞こえてくるが、ここが五十年も続く丼会の会場、いや講釈場である。

 そもそもこの講談席が誕生したのは昭和二十四年。いまだ戦後の混乱期、好きな講談を聞く機会もなく寂しい思いをしていた下町っ子が、これまた上がる高座もなく苦しい暮らしの講釈師を見兼ねて、交友のあった講釈師を招いたのが始まりだという。

 当初は有志の自宅や近くの神社などで開いていたが、そこへ鰻丼の出前をしたのが「両国」の先代蜷川巳佐也さんであった。巳佐也さんは戦災で焼けた鰻屋を現在地へ再開して間がなかったが、これが縁となってその後会場もこの「両国」に移し、丼会としてスタートしたのが昭和二十七年のこと、以来五十年。

 その後先代亡きあと長男の明太郎さんが引き継ぎ今日に至っているが、代々書き継がれた根多帳には釈界の蒼々たる先生方の名前が記されている。また、一時は落語の文楽、志ん生、円生という名人達も講釈に交じって出演していたということである。

 入口の暖簾をくぐり、狭い階段を二階に上がると右手の奥に高座ができている。さり気無く掛けられた掛軸に目をやると往年の名師たちの寄せ書きが見えた、何とも貴重なものである。二列に並んだお膳を前に好きなところへ腰を下ろすのだが、壁ぎわから埋まるのも講釈場の常。六時四十五分開演、と言っても同じ座敷の一角に衝立を立てた内が楽屋で、そこから高座に上がるのである。いかにも下町の気取らないところが五十年も続いた秘密なのかも知れない。

 これから二席聞いたところで仲入り。お茶とおいなりさんが一つ出て、いよいよトリの登場だ。三席たっぷり講釈を聞いて、終わるとすぐ付出しにツクネの串が二本、お酒が一本、最後に鰻丼が出る。高座を終えた講釈師を囲んでしばし下町の風情を味わうことができる。これで今時四千円とは見逃せない穴場ではないか。ぜひ丼会を覗いてみよう。

 四、五十人も入ると満員のため予約をお薦めする。

 毎月二十一日(七・八月は休み)。 電話 03-3631-7543 「両国」

(貞心 記)


星野監督就任と中日 (2002.3)
一龍齋 貞 花
   
 星野阪神監督就任に「貞花さんどうするの?」契約前監督に電話「君はどう思う?」「私は賛成。心配は星野さんの後援会の意向」「それがグローバルな考えの人は賛成なんだ」「良かった。プロ野球も盛り上がる。それに最下位のチーム、やりやすいじゃない」「ハッハハ…」その他書けない事も二度話し合った。反対の人もいるが、監督の年賀状は中日のユニフォームでグラウンドを走る姿の写真。阪神入りを考えていなかった証拠。中日ファンも半数以上が賛成。それじゃお前も阪神を応援するのか。そうはいかない。中日から永年ファン表彰され球団外広報の貞花、星野さんは個人。阪神が巨人を倒してくれれば中日優勝の目も出てくるんじゃない。

 (2002.3)
神 田 照 山
   
 昨年の暮、娘に二人目の子が生まれた。三人目の孫である。しかし私に“祖父(じい)”の意識は皆目ない。暇さえあればグランドを走りまわって若さを誇示しているので、“じいさん”なんてとんでもないというのが本心である。それにしてもこの孫たちにはどんな未来が待ち受けているのだろうか。

 私の子供時代は戦時一色で衣食住すべてに欠乏していた。なかでも食料不足はひどかった。米英軍の空襲(原爆投下も)とあいまってよくぞ生き延びたものだと思う。そんな逼迫した状況でも子供らは何かの楽しみを見つけ出しては好奇心を満たしたものだ。特に戦後過ごした父の生家、継母の実家は田舎で、農作業の手伝いのかたわら川では蟹や鰻を釣ったり、山では野鳥を捕獲したり木の実を摘んだりと時を忘れることも多かった。

 今の子供は外で遊ばないといわれるが、場所もなければ環境も悪い。しかしそれは時代でもある。憂慮すべきはいつの時代でも生命を脅かされることだ。それさえなければ、子供自身が知恵を絞って成長していくことだろう。それを願っている“じい”である。


元気の素を頂きました (2002.3)
田 辺 鶴 英
   
 皆さん今日は、先日長野県の南安曇郡奈川村というところにお招き頂き行ってまいりました。

 新宿から松本へ出て、そこからタクシーで1時間。途中雪が降り山の木樹が美しい白装束で迎えてくれる神々しさ。

 奈川村に着いたら、出迎えの方々の優しい穏やかな目、笑顔がこれまた素晴らしく、何だか心が洗われるような思いにとらわれ、直感的にこの地は、私のような人間に元気を出させる何かがあると感じ、「こんなところに住みたいです」と言ったら、「大歓迎です。温泉付の大きな一軒家を無料で貸しますからぜひ住んで下さい」と言われてしまいました。

 夢のような話ですが、その一軒家を借り、ときどき元気を貰いに来たいと心底思ったものでした。